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「生きる」ということ

 「人は望んで生まれてくるわけではない、だから死ぬ時も望んではならない。」
 俺はこの言葉に共感を覚えた。どんなに苦しい事や辛い事があっても、それを理由に自殺するという事はして欲しくない。 それは簡単な事かもしれないけれど、それは何の意味もない事だ。死んでしまったら何の意味もない。 「生きる」事に価値がある。中には「何もしなければ死んでいるのと同じだ。」と言う人もいるが、俺はそうは思わない。 何もしなくてもいい、何もできなくてもいい、とにかく死なずにいよう。生きてこの世を見続けよう。 人の役に立とうとか歴史に名を残そうとか、大きな事を考えずに生きよう。身の丈の生き方をしよう、無理をせずに。 潔癖な生き方は自分を苦しめるだけだ。肩の力を抜いて自然体で生きていこう、余裕を持てば自分の生き方が見えてくるはずだ。
 「生きる」とは、この世に存在している事だ。

 「もしも神がいるなら、神は万能でも全知全能でもない。」
 俺は神や仏なんざクソクラエ的な考え方の持ち主なので、ある程度共感できる。 もしも神がいて、万能だったり全知全能だったりするのなら、どうして同じ人間で不公平が生じるのか。 貧困や戦争の絶えない国と裕福で平和な国、生まれた時点で大きな差がある。 それは気付かなければ・・・知らなければ気にならない事だが、知った時には愕然とするだろう。 しかし人には与えられた物がある。それは希望という名の可能性だ。人には困難を乗り越える力がある。 一人の力では無理な事でも、同じ意志を持つ者達が集まれば可能な事もある。 人には可能性がある、生きていれば何かできるかもしれない。自分で自分の可能性を断ち切ってはいけない。
 「生きる」とは、常に可能性を持っている事だ。

 「人は死ぬために生きている。」
 この言葉が正しいとは俺は思いたくない。 たとえ、人は生まれた時に死へのカウントダウンが始まると言っても、人は死ぬために生まれてくるわけではない。 人の生きる力こそが人である証であると俺は思う。どんな不幸がその身に降りかかろうとも、生きる事から逃げてはならない。 たとえ救いの手を差しのべる者が無くても、生きる事から逃げてはならない。 人は助け合って生きるものとは言え他人に頼りっきりでは本人は成長しない、一人の力が試される時もあるから。
 「生きる」とは、成長する事だ。

 「命あるもの全てに死は訪れる。」
 これは平等にして不変の事実である。大統領だろうがホームレスだろうが逃れる事はできない。 人の人生に良し悪しがあるとすれば、死の間際に後悔するかしないか、だと俺は思う。 後悔のない人生を送るのは難しい。それでも死の間際に自分の人生を振り返った時に納得できるものであれば、その人の人生は幸せなものだったと言えるだろう。 そして、本人が納得していても安楽死には反対である。 今は医療技術が進歩していて手術すれば寿命を長くする事ができる。 少しでも生きようと努力する事は人の証だと俺は思う。 安楽死は「安らかに楽に死ぬ」と書くわけで、死んで楽になる道を選んだ事になる。 これは死から逃げていると言えるのではないか。逃げられないものから逃げる、それは愚かな行為にしか映らない。
 「生きる」とは、死から逃げない事だ。

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