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逃亡者

第0章:現実

 逃げる事は恥ではない。何でも立ち向かっていけば解決する程、そんな簡単な世の中じゃない。ただし何でも逃げ続けられる程、簡単な世の中でもない。


第1章:逃げ馬

 競走馬には「逃げ馬」という存在がある。スタート直後に先頭を奪い、レース全体のペースを握る存在だ。

 逃げ馬は大体の場合において1着になる事を望まれていない。強い逃げ馬や熱心なファンは別にして、あくまでレースを引っ張る役割として見られているからだ。そして、2着や3着に残る事を期待して買われる場合が多い。
しかし逃げ馬が逃げ切ってしまう時がある。その衝撃は距離が長い程に大きくなる。実際に見た例としてはイングランディーレの天皇賞(春)が良い例だろう。ただ1頭、先頭をマイペースで行き、結果1着でゴールしたのだ。

 レース展開に恵まれたとか、たまたまだとか言う人間もいるだろう。かくいう自分もそう思っている。
だが、競走馬にとっては勝利という結果が重要なのだ。偶然でも何でも勝利という事実は変わらない。

 対して我々人間はどうだ。何が勝利なのかなんて人それぞれ違う。しかし競走馬と共通するのは、レースは1つじゃないという事だ。馬も人もたった1つの命だ。その命の中でレースは何度もあるのだ。
逃げ馬は常に逃げる。前のレースで逃げ切れなかったとしても次のレースでもまた逃げる。それが生き方だからだ。それが競走馬として生きる手段だからだ。
人間だって同じだ。逃げる事が自分の生き方なら堂々と逃げればいい。辛い苦しい悲しい、こんな事を抱えて生きるのが嫌ならその全てから逃げてしまえばいい。


第2章:常に本気で

 逃げる事は簡単でも逃げ切る事は難しい。

 逃げ馬の逃げ切れる確率が低いように、人生もそういうものだ。人生の数あるレースの中で逃げ切る事ができるのは僅かだろう。だからといって、逃げずに立ち向かった方が良いんじゃないかなどと思ってはいけない。
競馬の世界でもそうだが、追う者が逃げる者を常に捕まえられるわけじゃない。だから逃げ馬も勝つ時があるのだ。ペース配分、馬場状態、自分と追っ手の能力など、様々な要素を考えて逃げ切れる道を見つけているのだ。
人間もそうだ。様々な要素を考え、あらゆる可能性を考え、自分が逃げ切れるであろう道を見つければいいのだ。

 追う側が本気で追ってくるのと同様に、逃げる側も本気で逃げるのだ。


第3章:馬と人は違う

 競走馬のゴールは同じだが、人間のゴールは人それぞれである。

 何をゴールとするかは人によるのだ。だから今自分と一緒に走っているからといってゴールも同じだとは限らない。故にそれは競争ではない。故に人生は競争ではない。

 ゴールが違う者と競う必要は無い。自分のゴールを見失わないように、周りに惑わされないように、自分のペースで見据えるゴールへ向かえばいい。


第4章:逃亡者

 人は皆、逃亡者である。

 貧しさ、寂しさ、不安、恐怖。人によって内容は違えども、誰もが自分にとって「嫌な事」から逃げているのだ。
貧乏から逃げるために金を得ようとしたり、寂しさから逃げるために結婚したり、病気から逃げるために健康に気を遣ったりする。昔だと、死から逃げるために不老不死の薬を得ようとする、とか。

 人はゴールへ辿り着くためにそこに向かっているのではなく、「嫌な事」から逃げるために必要なものをゴールに定めて、そこに向かって本気で逃げているだけなのだ。


最終章:あるべき姿

 逃げてばかりじゃ解決しない。

 この言葉は半分正しく、半分間違いである。
そもそも逃げ切ってしまえば解決する必要がない。逃げ切る事が解決である。
しかし、逃げ切るためには「追っ手」の本質を知らなくてはいけない。それを知るには「追っ手」の中に身を投じる必要も出てくる。どのみち逃げ切れなければ身を投じる事にはなるのだが、息切れした状態で身を投じざるを得ない状況と、万全の状態で自ら身を投じるのとでは全然違う。
より大きなレースで逃げ切るために、時には小さなレースで逃げずに知識と力を蓄えておく事も必要なのだ。

 敵を知り己を知れば百戦危うからず、だ。